母子健康手帳

第2次世界大戦の敗戦直後の1948年に、栄養失調と感染症のなかで母と子のいのちを守るために「発明」されたのが母子手帳(いま法律上は「母子健康手帳」が正式名ですが、以下、通称である「母子手帳」を使用します)でした。

 妊娠したら母子手帳を受取り、妊婦健診の結果を記入してもらい、赤ちゃんが生まれたら、子どもの体重や身長、予防接種の記録を書いてもらう。日本ではあたりまえの光景ですが、妊娠中から幼児期までの健康記録をまとめた1冊の手帳をもっている国は世界でも決して多くはありません。

母子手帳とは何か。まず、妊娠・出産・子どもの健康の記録が一冊にまとめられていること、そして保護者が家庭で保管できる形態であること。この2つの特徴を兼ね備えた母子手帳こそが、日本発のシステムです。

日本の母子手帳に触発されて、各国において文化や社会経済状況を反映した様々な取り組みが、国際協力機構(JICA)、ユニセフ、国際NGOなどの協力を受けて行われています。

『海をわたった母子手帳』(中村安秀著:旬報社)2021年
思春期の子どもたちにも読んでもらいたいと思って作りました。

日本の母子手帳

1948年 日本の厚生省(当時)が発行した「母子手帳」
世界で最初に母親と子どもの記録を1冊にまとめた

 日本で母子健康手帳が始まったのは、戦後の復興さなかの1948年であった。母子手帳の表紙にはコウノトリが描かれ、わずか20ページであった。内容としては、「出産申告書」「配給欄」「出生届出済証明」欄があり、産後の母の健康状態、乳児の健康状態、学校へ行くまでの幼児の健康状態、乳幼児発育平均値のグラフが含まれていた。食糧難だった当時の社会背景を反映し、配給欄の果たす役割は大きく、全20ページのうち6ページがこれにあてられていた。

 その後、1965年に母子保健法が施行され、「母性、乳児、幼児の健康の保持および増進を図り、保健指導、健康診査、医療その他の措置を講じ、国民保健の向上に寄与すること」を目的とした。母子保健法第16条において、従来の母子手帳は母子健康手帳と改称され、その内容の充実を図ることとなった。母子健康手帳は46ページになり、医学的記録のほかに妊娠・出産・育児情報が充実され、全体に平易で読みやすいものとなった。内容については、妊婦健診において梅毒や結核の欄がなくなり、血色素、血液型、尿検査の記入欄が設けられた。詳細な医学的記録としての性格が強まる一方、保護者の記録欄を加え、妊娠・出産・育児に関する情報を充実させるなど、育児日誌的な性格をも付加したものとなった。

 1991年の改訂では、手帳を構成する記録(医学的記録や保護者等が書き込む項目)と情報(行政情報、保健や育児情報)のうち、前者は省令で定めることにより全国統一とし、後者は省令で記載項目のみを定め、内容については自治体の裁量に委ねた。また、国際化の進展を考慮して、予防接種の記録と「今までにかかった病気」の記録のページは英語併記となった。

 戦後の母子健康手帳は、乳児死亡率(IMR)の減少に伴い、時代が要求するキーワードやニーズには大きな変化が見られ、母子健康手帳の役割そのものも大きな変遷を遂げた。栄養失調や感染症の予防が母子保健の課題だった時代から、子どもの発達や障害の早期発見に関心が移り、現在では、児童虐待の予防や子育て支援が大きな社会問題となっている。このように、わずか60年余の間に、母子健康手帳に求められている役割は大きく変化した。一方、2022年の母子保健法施行規則の一部改正においても、家族の多様性に考慮し「両親」を「保護者」に言い換えるといった変更などが行われたが、母子健康手帳の形式に大きな変化はなく、基本的には過去の形を踏襲している。

世界に広がる母子手帳

世界各地の母子手帳。大きさも、色合いも、内容も多様で
それぞれの国や地域の特色が打ち出されている

日本の母子健康手帳に触発されて、各国において文化や社会経済状況を反映した様々な取り組みが、国際協力機構(JICA)、ユニセフ、NGOなどの協力を受けて世界の50以上の国や地域で行われている。

タイでは、日本の母子健康手帳にヒントを得て、1985年に保健省がタイ版母子健康手帳を開発した。当初はわずか14ページであった。タイでも少子化は深刻であり、最新版の母子手帳では、父親、母親、3人の子どもというにぎやかな表紙になっている(以前は、子どもは2人だった)。80ページのすべてがカラー印刷であり、保健省によれば、「タイで子どもを産むと決意した女性に贈る冊子に、労力と資金は惜しまない」とのことであった。最後のページには、QRコードがあり、ダウンロードすれば、動画で妊婦健診や性感染症の予防などの情報が得られる。

ベトナムでは、母子手帳は子どものものであることを前提に、「この母子健康手帳を開いてみると、あなたがお母さんのお腹にいるときから学校に行くまでの間にお父さん、お母さん、および医療スタッフの人達が書いた情報を読むことができます」と明記した。ベトナムでもスマホが普及しており、表紙のQRコードから母子手帳全体をダウンロードしてスマホで読めるようになっている。

このように、アジアの国々では、従来の紙ベースの母子手帳を維持しながら、若い世代に親和性の高いデジタルによる情報提供を上手に組み合わせている。

なお、2018年に、世界医師会(World Medical Association:WMA)総会において母子手帳の開発と普及に関する声明が採択された。母子手帳またはそれと同等のものは、母、新生児および子どもの継続性ケアを改善し、かつヘルスプロモーションにも役立つ重要なツールであると明言し、「WMAは、医師会と医療専門職が、母子手帳を利用するように勧告」した。SDGsにあるように、誰一人取り残されないよう、特に非識字者、移民家族、難民、少数民族、行政サービスが十分届かない人々や遠隔地の人々のためにも使われるべきであると宣言している。一方、母子手帳は、母、新生児、および子どもの健康と福祉を向上させるためにのみ使用されるべきであり、学校の入学手続きの際に使用すべきではないと明示した。

母子手帳国際会議

第13回母子手帳国際会議(カナダ・トロント:2022年8月)において
DEI(Diversity, Equity, and Inclusion)の原則を保健医療ケアに取り入れるという
母子手帳の新しい価値を見出したのは、トロント大学の大学院生グループでした

母子手帳を使う国の研究者や行政関係者が集まり、母子手帳に関する最新の知見を交換し、試行錯誤の経験を共有するために、ほぼ隔年ごとに、世界各地で「母子手帳国際会議」が開催されてきた。1998年に「第1回母子健康手帳国際シンポジウム」が東京で開催されたときは、わずか5か国であった。当時、母子手帳を使っていた、韓国、タイ、オランダ、インドネシア、日本である。その後、トヨタ財団やJICAなどの支援を受け、インドネシア、タイ、ベトナム、バングラデシュとアジアの国々で開催されてきた。2012年にアフリカ大陸で最初の母子手帳国際会議が開催され、アフリカを中心に20カ国を超える国や地域から参加者が集った。母子手帳国際会議を重ねるごとに参加者も増え、アジア・アフリカだけでなく、中東、ヨーロッパ、アメリカ大陸など五大陸からの参加者が、開発、普及、評価、持続可能性などについて議論した。母子手帳を活用している国々の広がりと共に、政府関係者、国際機関、国際NGO/NPO、研究者など異なる背景を持つ参加者同士のネットワークが広がり、母子手帳の開発と普及のためのパートナーシップの構築に貢献してきた。

第14回母子手帳国際会議(フィリピン共和国マニラ)

 2024年5月に、フィリピン共和国マニラで「第14回母子手帳国際会議」が開催された。会議のテーマは「Safe Beginnings(人生の安全なスタート)」であった。妊娠中の期間(270日)と子どもが生まれてから2歳までの期間(365x2=730日)を合わせた「人生最初の1,000日」が、いま世界で大きな注目を集めている。卵子と精子が合体してから2歳に至るまでの最初の人生の時期は、成長や発達に関して最もダイナミックな変化を遂げると同時に、身体的にも社会的にも最も脆弱な時期である。

 フィリピンでは、2018年に「母子の健康と栄養に関する法律」が施行され、乳幼児(0-2歳)の成長と発達を促進し、栄養状態を改善することをめざしている。保健省と農務省などが協働して、国や地方の行政が「最初の1,000日」プログラムを制度化し、人生の安全なスタートを保障するための官民連携が始まった。

この「最初の1,000日」では、助産師、産科医、看護師、保健師、小児科医、栄養士など多くの職種の医療者が関わる。妊娠中の健診、分娩介助者による出産、出産後の新生児ケア、母乳をはじめとする適切な栄養、予防接種、乳幼児健診など、保健医療ケアの内容も多岐にわたる。小児発達学の視点からは、2歳の子どもは体重約11kg、身長約85㎝と身体的には小さいが、脳重量は成人の約80%にも達している。

Developmental Origin of Health and Disease(DOHaD)によれば、胎児期から出生後の低栄養などの環境因子が、成長後の健康や疾病の発症リスクに影響を及ぼすといわれている。また、幼少時に重篤な虐待を受けた場合には、劣悪な環境が身体的心理的な発達に影響を及ぼすことが知られている。まさに、人生の安全なスタートが切れるような環境整備をめざすための「最初の1,000日」というスローガンであった。

 人生の安全なスタートを保護者と医療者だけに任せるのではなく、「最初の1,000日」に国や行政が積極的に関与し、だれひとり取り残されることなくセイフティネットを広げようとするアジアやアフリカ諸国の試みに、日本も学んでいきたい。

母子手帳デジタル版

 アジアやアフリカの電気が通じない奥地に行っても、人びとがスマートフォンをもっている時代になった。多くの国では、アナログとデジタルを組みあわせて、母子手帳を通じた情報提供を行っている。

タイの最新版の母子手帳は、80ページのすべてがカラー印刷であり、保健省によれば、「タイで子どもを産むと決意した女性に贈る冊子に、労力と資金は惜しまない」とのことであった。最後のページには、QRコードがあり、ダウンロードすると動画で妊婦健診や性感染症の予防などの情報が得られる。若い世代に親和性の高いYou-Tubeや動画を通じて、母子保健に関する行動変容を期待する政策である。一方、国境近くに居住する少数民族の家族にとっては、スマートフォンは高価なので所有できない場合もあり、そもそも電波が届かない地域も少なくない。従って、デジタル母子手帳の施策を進める一方で、従来の紙の母子手帳を廃止するという選択肢は考えていないという。

今後は、世界中で紙媒体とオンラインの母子手帳の共存が図られることになろう。社会経済状況や母子手帳の発展の経緯により、さまざまな共生のかたちが創られていくことであろう。

日本においては、紙媒体の母子手帳はすでに70年以上の歴史を持っている。母親の手書きの文字を見て高校生になった娘が感謝するといった、親と子どもの心理的なきずなを強める母子手帳のもつ魅力はさまざまに語られてきた。また、家族全員でみることができ、母親や父親が書き込むことができ、成人した子どもに直接手渡すことができるといった利点があげられる。一方、オンラインには、震災や津波などで母子手帳を破損、紛失したときもデータの複製ができるというセイフティ・ネットの役割がある。また、新しいワクチンが導入されたときは、即時に最新の健康情報に上書きすることができる。映像や音声や多言語翻訳機能を使うことにより、視覚障害者や外国人などに容易に情報伝達ができ、多様性をもつ利用者に合わせた対応ができるのもデジタルの強みである。このように、アナログとデジタルを併用することにより、多様なニーズに対応できる母子手帳ができあがっている。

リトルベビーハンドブック

静岡県が発行する「しずおかリトルベビーハンドブック」
英語版など7言語の外国語版も公開されている

母子手帳と一緒に使う「リトルベビーハンドブック(Little Baby Handbook: LBH)」が注目を浴びている。静岡県から始まった、小さく生まれた赤ちゃん(リトルベビー)のためのリトルベビーハンドブックが、2025年に全国の47都道府県で作成されるようになった。

日本では、2021年に生まれた新生児の9.4%にあたる7.6万人の赤ちゃんが出生時の体重が2,500g未満の低出生体重児である。そのなかには、出生時体重が1,000g未満の超低出生体重児が2,646人もいる。世界的にみても、小さく生まれた赤ちゃんをもつ母親は、強い自責の念で、自分の辛さや不安をなかなか外に出せないといわれてきた。産科や新生児医療の画期的な進歩により、小さく生まれても無事に退院できるようになったけれど、家庭や地域に戻った後の社会的な支援が圧倒的に不足している。

 たとえば、日本の母子手帳は世界的に高い評価を受けているが、2021年の調査ではリトルベビーの親の83%が、母子手帳の内容に「不快な気持ちになったことがある」と回答した。子どもの体重曲線が1kgから始まるので、1kg以下のわが子の体重をグラフに書き込むことができない。保護者が記録するページで「〇〇ができますか?」という質問が続き、「いいえ」ばかりが続くので、母子手帳を見たくなくなるという。

そんなわけで、ひとりひとりの子どもの個性的な成長や発達を認めることができ、先輩のママやパパからの温かなメッセージにあふれた、リトルベビーハンドブックが作られた。リトルベビーをまんなかにおいて、その家族、伴走する医療者、そして地域の行政機関のネットワークがつながり、大きな支援の輪が広がっている。

11月17日は「世界早産児デー(World Premature Day)」。世界各地では、庁舎やタワーがシンボルカラーのパープルカラーにライトアップされるとのこと。日本でも、多くの地域で写真展やライトアップがみられるはず。リトルベビーとその家族の存在を知り、気づくことから、こどもまんなかの新しい関係性が始まることを期待している。

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